ルパン三世の峰不二子や天才バカボンのママの声優で知られる増山江威子さんは、若い頃から美人で女優業もしていました。
声優さんはなかなかテレビ出演する機会がないため、増山さんのお顔がわからないという人も多いのではないでしょうか。
この記事では、増山江威子さんの若い頃の画像15選と、宝塚歌劇団や劇団四季に所属していたのかについて調査しまとめていきます。
【画像15選】増山江威子は若い頃モテモテだった!
増山江威子さんの若い頃の画像15選はこちらです。
増山江威子のレコードのジャケット写真
白黒画像の増山江威子
テレビ出演時の増山江威子
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若い頃から美しかった増山さんなので、モテモテだったのではないでしょうか。
増山江威子は宝塚歌劇団を目指していた?
サンシャインサウンド
増山江威子さんは、宝塚歌劇団を目指していた時期がありました。
幼少期からバレエを習っていた増山さんは、タカラジェンヌやバレリーナを目指してレッスンをしていたものの、肺病を患い12歳で断念しています。
幼少期から宝塚の大ファンだった増山さんは、宝塚に入るのを諦めたものの、宝塚への思いが捨てきれず2005年から9年間宝塚大劇場の近くに住んでいたそうです。
増山さんの同世代の元タカラジェンヌは、女優の朝丘雪路さんがいます。
増山江威子は劇団四季に所属していた
増山江威子さんは、劇団四季に所属していた時期があります。
増山さんは宝塚に入る夢を断念したのが12歳の頃に、児童劇団に新児童劇団に入りました。
15歳になると、児童劇団という年齢ではなくなったため、同世代の仲間と「劇団山王」を立ち上げます。
そして数年後、劇団四季の創設者である浅利慶太さんに頼まれて劇団四季に移籍しました。
増山さんは劇団四季時代にラジオドラマやアテレコの仕事をしたことで、声の仕事に興味を持つようになったそうです。
1960年代からは声優事務所・青二プロダクションに移籍し、声優として本格的に活動し始めました。
増山さんにとって劇団四季に所属していたことが、声優になるターニングポイントだったようですね。
まとめ
増山江威子さんの若い頃の画像を紹介しましたが、とても可愛らしくモテモテだったのではないでしょうか。
幼い頃から宝塚歌劇団に憧れていた増山さんは、肺病で宝塚の受験は諦めたそうです。
その後は児童劇団や劇団四季に所属し、1960年代から声優として本格的に活動してきました。
そんな増山さんですが、2024年5月20日に89歳で亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。
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