美川憲一さんは、独特な美貌と歌声で日本の歌謡界を牽引してきたレジェンドです。
そんな美川さんには、実は2人の母親がいたという意外な過去があります。
この記事では、美川憲一さんの母親は2人いるのかと、生い立ちが複雑で実父に土下座された過去について調査しまとめていきます。
美川憲一の母親は2人いる?
Instagram@kenichimikawa_official
美川憲一さんには、産みの母と育ての母の2人の母親がいます。
産みの母 百瀬以し子(ももせ いしこ)
育ての母 百瀬米子(ももせ よねこ)
生みの母と育ての母は姉妹で、美川さんは産みの母の姉である米子さんに育てられました。
産みの母 百瀬以し子
週刊女性プライム
美川さんの産みの母は百瀬以し子さんです。
美川さんの実父は妻子持ちだったため、以し子さんは未婚のまま美川さんを出産しました。
「実を言うと父親が、妻子のある人だったの。母だまされたの」と衝撃の事実を明かした。
実母は父に「家を建ててあげるから、部屋を借りてあげるから」などと話しており、実際に部屋を借りてもらったというが、「そしたら母が私を身ごもったじゃないですか。そしたら(父は)喜ばなかったんだって」「逃げたの。なぜなら奥さんとお子さんがいるから。大変なことになると思って」
2023年10月12日
スポニチアネックス
以し子さんは美川さんを出産した後、美川さんが2歳の時に肺結核を患ってしまいます。
美川さんを育てられないと言って、姉の米子さんに美川さんを預けることになりました。
東京新橋に住む姉夫婦には子供がおらず、美川さんは叔母にあたる米子さんの元で暮らし始めます。
当時まだ幼かった美川さんは泣いて嫌がり、母親2人は切ない思いをしたと話していたようです。
育ての母 米子
週刊女性プライム
美川さんは実母が肺結核になったことで、叔母である米子さんに育ててもらうことになりました。
美川さんは米子さんのことを本当の母親だと信じていましたが、中学生になって真相を打ち明けられています。
米子さんは美川さんのことを自分が産んだ子供のように可愛がっていたそうですが、実母がよく訪れていたため、2人の母親の関係性に気づいていたと話していました。
美川さんが全てを知ってからも反抗する気持ちはなく「2人の母を楽にさせたい」という気持ちが芽生え、高校を1年で退学して東宝芸能学校へ入学し、歌手デビューしています。
美川憲一は生い立ちが複雑
美川憲一と実母 週刊女性プライムより引用
美川憲一さんは前述した通り、2人の母親がいて、複雑な生い立ちを歩んできました。
産みの母と育ての母が姉妹で、父親も妻子ある人でしたが、真相を知ってからは2人の母親のために芸能界を目指すことになります。
美川憲一のプロフィール
名前 美川憲一(みかわ けんいち)
本名 百瀬由一(ももせ よしかず)
生年月日 1946年5月15日
出身地 長野県諏訪市(2歳から東京に居住)
美川憲一の生い立ち
- 港区立愛宕中学校卒業
- 正則高等学校中退
- 東宝芸能学校卒業
- 1964年 第17期「大映ニューフェイス」合格
- 1965年「だけどだけどだけど」で歌手デビュー
- 1966年「柳ヶ瀬ブルース」が120万枚の大ヒット
- 1972年「さそり座の女」リリース
- 1977年 大麻取締法違反で逮捕
- 1984年 大麻取締法違反で逮捕(2回目)
- 1989年 コロッケとモノマネ番組共演で再ブーム
- 1993年 47歳の時に母のために豪邸を建てる
- 2021年 豪邸を売却
美川さんは母のためにと高校を中退して東宝芸能学校に入り、大映ニューフェイスに合格し俳優デビューが約束されていました。
しかしながら、母のために一攫千金を狙うなら歌手の方がいいと路線変更しています。
デビュー曲はヒットしなかったものの、翌年の「柳ヶ瀬ブルース」が大ヒットして、デビュー2年目には月給350万円(現在の3000万円相当)になっていたそうです。
1972年には美川さんの代表曲でもある「さそり座の女」がリリースされ順調な歌手人生でしたが、その後はヒット曲に恵まれず大麻取締法違反で2回の逮捕を経験しています。
その際2人の母からは「大丈夫よ。つまずけば、つまずいた人のこともわかるようになるから。つまずきをバネにして生きなさい」と諭されていたと話しており、美川さんにとっては母たちの存在が支えになっていたようです。
1990年頃からはオネエキャラとして再ブレイクし、1993年には母のために7億円の豪邸を建てました。
豪邸には育ての母と実母の3人で暮らしていましたが、1996年に育ての母・米子さん、2006年に実母の以し子さんが亡くなり2021年に家を売却しています。
現在はマンションで暮らしており、100歳まで歌い続けることを目標にしているそうです。
美川憲一は実父に土下座された過去も!
美川憲一さんは実父に土下座された過去があり、謝罪されて許したと話していました。
美川は父には「会いましたよ。出て来たのよ父が。『夜のヒットスタジオ』に。対面コーナーで」とサプライズ企画で対面。
実母はその際、「冗談じゃない、あたしたちはどんな思いしてあんたを育ててきたのよ」と怒りを口にしたと言うが、番組後、美川は父から謝罪したいと言われて再び料亭で会うことになったという。
2023年10月12日
スポニチアネックス
美川さんが実父に対面したのは40代の頃に出演した「夜のヒットスタジオ」で、その後赤坂の料亭で2人きりで会った時に土下座で謝罪されています。
それ以来、実父からは一切連絡がなく、親戚から実父の13回忌の知らせを受けて参拝したそうです。
2人の母親は知らせを受けて「今さら何よ!」と言っていましたが、美川さんに諭されて実母は一緒に参拝することになりました。
帰り道には実母に「お墓参りが出来てよかった」と感謝されたと話しています。
美川さんは人を恨まないのが信念だと言い、波瀾万丈な人生を送ってきたことで「変にこだわることなく、もっと優しく生きよう」と考えるようになったようです。
まとめ
美川憲一さんは産みの母と育ての母の2人の母親がいて、実母は86歳、義母は84歳で亡くなっています。
実父には妻子がいたことで、実母は未婚のまま美川さんを出産し、肺結核を患ったため姉が美川さんの育ての母となりました。
美川さんが40代の時に実父と番組で再会、その後2人きりで料亭で会った時に土下座されています。
複雑で波瀾万丈な生い立ちの美川さんは90歳まで歌い続ける事が目標と話しているので、これからも美川さんの活躍が期待出来そうですね。
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