柴田恭兵さんは1983年32歳の時に結婚していますが、元モデルの奥さんは再婚でした。
再婚相手の加奈さんはバツイチだったようですが、元夫との間に子供はいたのでしょうか。
この記事では、柴田恭兵さんの妻は再婚で子供がいたのかと、馴れ初めや略奪婚だったのかも調査しまとめていきます。
【画像】柴田恭兵の妻は再婚で子供がいた?
週刊実話web
柴田恭兵さんは1983年に結婚しましたが、妻の加奈さんは再婚で子供が1人いました。
柴田恭兵の妻のプロフィール
旧姓 山口加奈(やまぐち かな)
生年月日 1952〜1953年生まれ
出身地 愛媛県西条市
職業 元モデル
得意料理 豆ご飯、豚の角煮
柴田さんが加奈さんをお嫁さんにしたのは32歳の時です。
加奈さんには前夫との間に智大さんという長男がいて、子連れで再婚しました。
柴田さんは加奈さんと結婚して2人の子供が誕生しているので、3人の子供の父親になっています。
長男 智大(生年月日不明)
次男 鮎(1984年生まれ)
長女 名前不明(1987年生まれ)
残念なことに、柴田さんの次男・鮎さんは、大学生の時に一人暮らしのマンションの自室で心臓発作を起こして亡くなっていたようです。
柴田恭兵さんの次男の大学や、死因についてはこちらに詳しく記載されています。
長男の智大さんや、長女については一般人のため顔画像や詳しいプロフィールは公開されていませんでした。
柴田さんも妻の加奈さんも整ったお顔立ちをしているので、お子様達も美男美女なのは間違いなさそうですね。
柴田恭兵と妻の馴れ初め
柴田恭兵さんと妻の馴れ初めは、青山のバーで出会ったことがきっかけで交際に発展、結婚しています。
柴田恭兵と妻の出会いは青山のバー
柴田さんが妻の加奈さんと出会ったのは1980年7月で、柴田さんは加奈さんの笑顔に魅了されていたようです。
加奈さんがいるだけでお店全体の雰囲気が明るくなり、柴田さんが仕事で落ち込んでいた時も、加奈さんと顔を合わせるだけで元氣になると言っていました。
1980年は当時29歳で、TBSドラマ「青い絶唱」や、映画「霧のマンハッタン」が公開されるなど柴田さんも忙しくしていた時期です。
そんな中で加奈さんと過ごす時間が、柴田さんにとっては安らぎだったのではないでしょうか。
こちらの画像に写っているのが加奈さんですが、柴田さんはこの笑顔に惚れたようです。
幸せそうなツーショットですね。
柴田恭兵と妻のファーストキス
柴田さんと妻の加奈さんの関係が急展開したのは、出会って4〜5回目に酔った勢いでキスをしたことがきっかけでした。
柴田さんは加奈さんの自宅近くでキスをして、交際をスタートさせています。
柴田さんによると、ファーストキスは加奈さんが飲んでいたジャックダニエルの味だったそうです。
加奈さんの明るくて快活な人柄を好きになった柴田さんは、1980年に7月に出会ってすぐに交際が始まり、3年後の1983年に結婚しています。
柴田恭兵のプロポーズの言葉
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柴田恭兵さんのプロポーズの言葉は、「おじいさん、お婆さんになっても一緒にいようよ」と伝えたそうです。
プロポーズ? その年、つまり五十五年の暮れごろだったけど、いつ、どこで、どんな言葉でいったか、ハッキリしないけど、“おじいさん、おばあさんになっても、一緒にいようよ”というようなことをいったんです。
というのは、そのころ“彼女と、ずーっと一緒にいられたらいいなア”そう思っていたから…
週刊実話 1982年3月11日号掲載記事より引用
柴田さんのがプロポーズしている姿は、映画やドラマのワンシーンのようでとても素敵な雰囲気だったと想像できますね。
柴田さんは妻の加奈さんにゾッコンで、ワイワイ騒げる楽しい家庭にしたいとインタビューで話していました。
柴田恭兵は略奪婚だった?
ORICONNEWS
柴田恭兵さんと妻の出会いから結婚までを振り返ると、略奪婚の可能性もあります。
1980年7月 青山のバーで出会う(4〜5回目で交際開始)
1980年暮れ プロポーズ
1981年3月 加奈さんの離婚成立
1982年1月 加奈さんの実家へ結婚報告
1983年春 挙式
昨年三月、山口加奈さんの離婚が正式に成立。ことし一月、柴田は、加奈さんの愛媛県西条市の実家を訪ねて、正式に結婚の意志を伝えた
週刊実話 1982年3月11日号掲載記事より引用
時系列で見ると、離婚成立の前に交際をスタートさせてプロポーズもしているようですが、出会った時点で加奈さんと元夫の関係は破綻していたのかもしれません。
略奪婚の真意は不明ですが、離婚成立までは平均半年〜1年はかかると言われているため、プロポーズされて慌てて離婚に踏み切ったというわけではなさそうです。
柴田恭兵の歴代彼女
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柴田恭兵さんは、32歳の時に結婚しましたが、結婚前の歴代彼女は何人いたのでしょうか。
柴田恭兵のデビュー後の彼女
柴田さんの熱愛報道について調査しましたが、俳優デビューから結婚までの間に熱愛のスクープはありませんでした。
柴田さんは25歳の時にミュージカル「十月は黄昏の月」でデビューし、妻の加奈さんと出会ったのが29歳の時です。
柴田さんは女性からモテていたはずですが、熱愛報道がなかったのはお芝居に集中して恋愛よりは仕事を優先していたからかもしれません。
俳優デビューして4年間は交際相手がおらず、加奈さんと出会ってすぐに交際をスタートさせたと考えられます。
柴田恭兵のデビュー前の彼女
柴田恭兵さんには、結婚を前提にお付き合いしていた女性がいたようです。
柴田さんは日本大学卒業後、結婚前提の交際相手がいたため、結婚資金を貯めるためにアパレル関係の仕事に就職しました。
しかしながら、彼女と破局してしまい2年で会社を辞めています。
仕事を辞めてからは、大学の同級生が劇団「東京キッドブラザーズ」のスタッフをしていたことがきっかけで劇団に入り、俳優デビューすることになったようです。
柴田恭兵のプロフィール
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柴田恭兵さんのプロフィールを紹介していきます。
名前 柴田恭兵(しばた きょうへい)
生年月日 1951年8月18日
出身地 静岡県清水市
血液型 AB型
身長 176cm
最終学歴 日本大学経済学部卒業
趣味 野球 ゴルフ
柴田さんは静岡県清水市出身で、日本大学を卒業しています。
卒業後は当時の彼女との結婚資金を貯めるためにアパレル会社に就職しましたが、2年目に破局したことで退職しました。
仕事を辞めた時に、劇団「東京キッドブラザース」のスタッフをしていた同級生を介して主催の東さんと知り合い、直接東さんに誘われて入団したようです。
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柴田さんは入団後すぐ1975年にミュージカルデビューを果たし、1977年にはテレビ初出演と注目されてきました。
デビュー以来劇団の看板俳優となり、1986年35歳の時に舘ひろしさんとのコンビで主演を務めた「あぶない刑事」はシリーズ化し、柴田さんの代表作になっています。
2004年に次男の死を乗り越え、2006年には初期の肺がんにより摘出手術を受けるなど辛い出来事が重なった時期もありました。
がんの治療後は約4ヶ月後に現場に復帰し、現在も俳優として活躍し続けて2024年に「かえってきた あぶない刑事」の映画が公開されて話題となっています。
まとめ
柴田恭兵さんの妻・加奈さんは再婚で、元夫との間に子供が1人いました。
青山のバーで出会ったことがきっかけで交際に発展し結婚しましたが、交際をスタートした時加奈さんは元夫との離婚は成立していなかったようです。
略奪婚だったかの真意は明らかではありませんが、加奈さんの離婚が成立して、2年後に柴田さんと無事に結婚しています。
プライベートなことはあまり話さない柴田さんですが、加奈さんにぞっこんで現在も夫婦関係は良好なのではないでしょうか。